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潰瘍性大腸炎の常識・非常識

私は、最近は主に癌関係の研究をしていますが、若い頃は潰瘍性大腸炎の研究もしていました。
30年ほど前は、まだ、潰瘍性大腸炎の患者さんも少なく、治療薬もステロイドやサラゾピリンぐらいしかありませんでした。症状が改善しなければステロイドを長期間投与することもあり、ステロイドによる副作用で十二指腸潰瘍や白内障、圧迫骨折、成長障害などになっている患者さんもおられました。
治療方針も学派によりバラバラで、ステロイドを大量に投与してがっちり治療する学派、すぐに大腸全摘術をする学派、なるべくステロイドを使わず病気と付き合っていく学派(私はこの学派でした)などが乱立している状況でした。
その頃、潰瘍性大腸炎の治療として、牛乳は飲んではいけない、低残渣食を心がける、症状悪化時には絶食することが常識でした。当時の潰瘍性大腸炎の教科書には「炎症性腸疾患については科学的裏づけがある明確な食事指導法はないといってもよいでしょう。しかし、食事指導は不可欠です!」などと、訳の分からないことまで書かれていました。その後、これらの常識は覆されていきました。
これから、数回にわたり、本ブログで、潰瘍性大腸炎の常識が変わっていったことを紹介したいと思います。

†と‡

JNCIなどの昔からある論文誌では、表の説明のところに*、†、‡、§などがでてくることがあります。これらをパソコンで入力するのに苦労されたことはありませんか。「*」は「アスタリスク」、「†」は「ダガー」、「‡」は「ダブルダガー」、「§」は「セクション」と入力して変換すると出てきます。

「*」は「星印;asterisk」と呼ばれ、「†」は「短剣符;dagger」と呼ばれます。たしかに短剣のような形をしていますね。「§」は「節記号;section sign」呼ばれ、ラテン文字のSを重ねた字形に由来するそうです。

若い頃、論文を書くときに、タイプライターだったので、これらのマークを打つのに苦労して、手書きをしていたこともありました。

p値で「<0.05」を「*」、「<0.01」を「**」と書くことも多いですね。

疫学の3分野

人集団を用いて、疾病の発症機序や治療、予防法などを研究する疫学は、「記述疫学」「分析疫学」「介入疫学」の3つの分野に分けることができます。「記述疫学」と「分析疫学」は観察研究になります。
「記述疫学」は、との地域にどのような病気が多いか、時代と共にどのような病気が増えてきたか、などを調べてまとめます。代表的研究として癌登録や人口統計などがあります。データを多数集めて、それをグラフにして、いろいろな仮説を考える学問で、多くの知識や豊かな想像力が必要で、思いもかけない大きな発見ができる可能性もある面白い分野です。
「分析疫学」は、仮説を証明するためにデータを集める研究で、主な手法として「症例対照研究」と「コホート研究」があります。「記述疫学」は、力仕事で大量のデータを集めますが、「分析疫学」は、いかにスマートに必要最低限の情報を集めて質の高い知見を出すかが重要な頭を使う学問です。症例対照研究やコホート研究で使うアンケートは、必要な項目が抜けていたら研究は失敗しますし、たくさんの項目を入れすぎるとアンケートを書くのに疲れて正確な調査ができません。アンケートを見るだけで、それを作った研究者がどの程度優れているのか、すぐに分かります。この分野の研究者は、頭の切れる先生が多いですね。
「介入疫学」は、臨床試験の方法論を理論構築する学問です。臨床試験のいろいろな方法論は、介入疫学により理論構築されています。ただ、介入疫学の考え方は、記述疫学、分析疫学の考え方に基づいて構築されていますので、臨床試験を勉強する時には、介入疫学だけではなく、記述疫学、分析疫学も一緒に勉強するのがお勧めです。
学問は体系的に勉強すると、応用力がついて、飛躍的な研究ができますね。

十二指腸潰瘍の人は胃癌になりにくい

20年以上前、まだ、ヘリコバクター・ピロリ菌(以下ピロリ菌)が発見されていなかった頃、十二指腸潰瘍と胃潰瘍は、攻撃因子である胃酸と、防御因子である粘液や血流などのバランスが乱れて発症すると考えられていました。また、胃癌の原因はほとんどわかっていませんでした。

ただ、十二指腸潰瘍の人は胃癌になりにくいことは、かなり以前から知られていて、1990年代にはトップジャーナルのN Engl J Medでも2つの論文(325: 1127-31, 1991、335: 242-9, 1996)で報告され、確実な知見とされていました。

その後、十二指腸潰瘍の原因としてピロリ菌が発見され、多くの研究によりピロリ菌は胃潰瘍や十二指腸潰瘍の原因であることが明らかにされました。しばらくして、胃癌もピロリ菌が原因ではないかという報告が出てきたのですが、前述の「十二指腸潰瘍患者は胃癌になりにくい」という知見と矛盾するため、研究者達は大変混乱しました。

皆さんは、十二指腸潰瘍も胃潰瘍もピロリ菌が原因であることは知っていますね。では、前述の矛盾はどのように説明できると思いますか?

十二指腸潰瘍は若い人がなりやすく、胃癌は高齢者がなりやすいので、年齢で補正したらその矛盾は消えるのではないかとも思われましたが、年齢で補正してもやはりその傾向は残りました。

十二指腸潰瘍と胃癌の患者さんのピロリ菌の感染時期が違うのではないか、という仮説もだされました。幼少時期に感染し長期間炎症が起こると萎縮性胃炎が強く起こり胃酸が出にくく、十二指腸潰瘍にはならず、胃癌になるのではないか、という仮説です。ただ、発展途上国では幼少時期に感染する人が多いのですが、十二指腸潰瘍も多く、仮説にあいません。ピロリ菌の持続感染は幼少時期に感染することがほとんどですが、青年期にピロリ菌に感染して持続感染した場合には、十二指腸潰瘍になり、胃癌にはなりにくいかもしれません。

食事や飲酒、喫煙習慣などの違いにより十二指腸潰瘍になったり、胃癌になったりするのではないか、と考える研究者もいました。胃癌の患者さんの方が、喫煙や高濃度の塩の摂取が多い、新鮮野菜や果物の摂取が少ない傾向はありましたが、これだけでは説明することはできませんでした。

そこで考えられたのが、感染したピロリ菌の種類が違うのではないかという仮説です。大分大学の山岡吉生先生方が発見されたDupAを産生するピロリ菌は十二指腸潰瘍に多いようです。まだ、DupAだけでは完全には説明できないですが、かなり重要な働きをしているようです。

ピロリ菌が発見された当時の研究者や臨床医は、胃癌が感染症とはとても信じることができず、多くの議論がありました。そのときに、胃癌の原因はピロリ菌でないという根拠として、十二指腸潰瘍との関係が示されることがありました。過去の知見に縛られず、柔軟な頭でいろいろな可能性を考えることが重要ですね。

病膏肓に入る(やまいこうこうにいる)

食道癌の内視鏡治療時に穿孔して縦隔炎を起こすと治療に難渋することが多いです。「病膏肓に入る」ということわざをご存じでしょうか。「膏」は心臓の下、「肓」は横隔膜の上部にあたり、ここに病気が入ると治療ができないとされたことから、病気がひどくなり、治しようがなくなることを言い、そこから、何かに熱中しすぎて、どうにも抜け出せなくなることのたとえとなりました。学生時代に「膏肓は後縦隔のことで、ここに炎症がおこると治せなくなるます」との講義を受けたことがあり、ここに炎症がおこることもあるのだなぁ、と思いましたが、食道穿孔はまさに「病膏肓に入る」ですね。